第二回〜レイ・ブラッドベリ著「華氏451」〜

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タカハシ
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読書会について

タカハシ 僕は読書会なるものに参加するのも初めてだし、読書会のイメージがあまりない。皆どうやってやってるんですかね。

こみや いいも悪いも、形もあまりないものだと思っています。少なくとも、僕らのこれはまだ2回目だしね。むしろ形がどうだっていうのは、形ができてきてから考え始めれば良いのでは。それに、世の中にはうちの母親のように、読書会慣れしている人が一定数いるんだけど、ここにきている人たちは読書会素人。言葉をちゃんと交わせれば、脱線し放題だし好きにやればいい。

あなご 自分とは違う読み方を発見できるのは楽しいよね。私は詩的表現にばかり注目してて、内容そこまで入って来てなかったなーって、今日話を聞いていて感じた。

KC 俺は逆に、表現みたいなディティールじゃなくて、この場面は何が言いたいのか、っていう、抽象的なことばかりに注目していたので、ディティールを読む読み方は新鮮だった。

タカハシ 僕は文字を音声として捉える読書、ってのができてなかったことに強烈に気がつきました。

あさき 読書会はチェーンリーディングのきっかけになるかな。話の中で、皆が「あ、それこういう本にも書いてあったよね」っていうのを共有できる。

もーこ 私は最近本を読む習慣があまりないので、自分にそれを課す意味もある。あと本を読むときに、活字を摂取して内容を忘れちゃうことも多々あるんだけど、こういう場で話をして、内容を定着させられるのもいい。

タカハシ 自分の読まないジャンルを読むことも効用じゃないですかね。僕は海外文学をほとんど読まないので、今回の選書はすげー響きました。

 

華氏451の表現について

こみや 今回本を選んだのは僕です。僕は前に読んだことがあったんだけど、皆どうだった?

ほぼみんな ストーリーはシンプルだけど、表現にとっつきにくかった。抒情詩人的表現が、冗長/しつこい。世界観を明示されてスタートするわけじゃないところも、とっつきにくさに輪をかけた。

あなご 私は何の抵抗もなく読めた。1回目に読んだときは表現に心を奪われてしまった。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」より読みやすい。

もーこ 私はこれを戯曲だと思って読んだ。

あなご そうそう、ある意味で野田秀樹っぽい。ラップが好きなので、ラップだってわかってから読みやすくなった。32ページとか。「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ。クラリス、ミルドレッド、伯父、…」のところ。他にも54ページの「一、二、三、四、五、六、七日。」、これは舞台にしてほしい。SFを声に出して読みたいって思ったのは初めて。

もーこ 236ページの「ミリー、ミリー。彼は悲しかった。」も泣ける。3人くらいで芝居にしたい。私は最初は全然読み進められなかった。だけど、25ページの「≪巻貝≫―…音響の大海の電子的波濤を、音楽とおしゃべりと音楽とおしゃべりを、…」ってところで、あ、これは声に出して読む本だって気づいた。発話されるための言葉が書かれている。私は大部分を音読して読んだ。

あさき 戯曲っぽいのは、訳がそうだからですね。

あなご 舞台っぽい面だと、明転と暗転がわかりやすい。第2部の終わりから第3部のあたま、「着いたと思ったら、わたしの家じゃありませんか。」はい暗転。そして明転。あと、たまに挟まれる余計な一文も好き。例えば202ページ。「地面に倒れこんだふたりは、そのままぴくりとも動かなかった。空の枯葉が一枚、風に飛ぶ。」。この文いらないのに、これがあることで一気に演劇的になる。

タカハシ 僕は詩的表現が得意じゃなかったんです。旧訳は新訳に比べて冗長的な所も多いって聞くし、これ以上長かったら「ああもう、読むの面倒くせえ!」ってなっちゃってたかもしれない。それはなぜだろう?って先程からお話伺いながら考えていたんだんですが、学生の時に速読を習っていたからかもしれない。目線の動かし方や、情報処理の仕方なんかのテクニックを習っていたんです。だから今日、文字を音として捉える、っていう読み方は衝撃でした。

KC 俺をはじめ理系の人は、論文読むときにどうしてもそういう読み方するからかな?

こみや 俺は論文に限らず、物語でもそういう要点を抽出する読み方を小さい時からしてたな。本を読むのは比較的早いほうだけど、例えば推理小説でも、人の名前は覚えず、「何をした人」として記憶する。読書会を始めてみて、短期間に同じ本を何度も読み返す、っていう読み方をしたのは初めて。やってみて、2回、3回と読み返す度に新たな発見、読んでいない部分があるのに気づいた。叙述的なんだっていうのは、今日言われて初めて、そうかもしれない、って思った。

 

訳の違い(旧訳→新訳)

・焚書係 昇火士
・テレビ室 ラウンジ壁
・シェパード 猟犬
・冗談ボックス ジョークボックス
・管弦楽団 オーケストラ
・頭がイカれてる 頭がイカれてる
(イカれるのは時代を超えて変わらない!)
・壁面ミュージカル ミュージカル壁
・抽象模様(アブストラクト) 抽象
・陰鬱な舌 灰色の舌

 

世界観について

あなご SFなのに抒情詩人っていうのがわからなかったけど、読んでみて初めてわかった。ストーリー自体は非常にあっさりしている。

タカハシ 世界で評価される文学って、普遍性があり、未来の先を描いているところはすごいと思った。僕が唯一付箋を張っているのは、92, 93ページの、古典や情報がどういうふうに扱われるのかベイティーが語る部分。本や情報がどんどん軽視されていって、誰しもが簡単に簡単に読めるようになっている社会って、現代のキュレーションメディアを予見している。この著者はこの時代にここまで見通して書いていたのは凄まじい。そういう面で、理系のおふたりはこの本を読んでぜんぜん違う読み方をしたんじゃないんですか?

KC おれは大体同じ反応。この話は現代日本にもあてはまる。

こみや そもそも理系文系って分け方は好きじゃない。だけど、一般論として、工学系は社会をどっちに進めていくかは考えず、与えられた世界をどう達成するか、を考えがち。周りのエンジニアを見ても、社会にはあまり目を向けない人のほうが多い。どの世界も人によるけど。この本はオーウェルの1984年と合わせて、サイエンス・フィクションに対して、ソーシャル・フィクションって言葉が当てはまるジャンルだと思ってる。新規の科学技術はほとんど出てこないけど、架空の社会構造を通じて、現代社会の風刺をする。

タカハシ この本の主題は、本を読むことが是か非かってことだと思いました。今日ショーペンハウアー「読書について」を持ってきたのは、現代の三文小説ではなく古典を読め、っていう意味で通じるものがあると思ったから。古典や歴史を読むのは、思想に通づる部分がある。コントロールしやすい民衆を作るためには思想は邪魔者になる。

こみや 本を読んで得られることが是か非か、って言ったほうが正確かな。モンターグは本を読む人ではなかったけど、彼は本を読んで得られることを知っている人。読書の効用は、139ページでフェーバーがモンターグに語る、書物の必要性の部分にまとまっている。

KC この話の中では古典や過去からそのまま学ぶ/学ばせること自体が良くないとされている社会。興味深かったのは、どうしてこの社会がこうなったのかってこと。昔のことは少し語られていたけど、現在までの経緯は語られていない。この国の構造はきっと、知識を非対称に配置することで、支配層が権力の源となる知識を独占し、結果として権力を独占することができるんだろうね。

タカハシ ここで描かれている社会になる過程が、現代日本に当てはまるんだとしたら、この物語はなおさらすごい。

あなご 最後の戦争の話も、今の日本に当てはまるかもね。

あさき 戦争はもっとテーマに絡んでくるかと思っていたけど、あっという間に終わっちゃいましたね。

KC それは彼の示したい戦争を表していたんじゃないのかな。原爆が一発落ちて終わり。この共産主義をイメージさせる社会構造やなんやかやも、書かれた1950年の時代背景を反映している。

あなご こないだのモモと比較すると、この社会の遊びってやっぱり想像力を書いている。学校に子供を放り込んで、なるべく手元に置いておかない、っていうのは、教育現場で働いてると現代のご家庭っぽいな―って身に染みて感じる。教育もアウトソーシングできる時代。

KC この社会のテレビ室の中に出てくる、「家族」って一体何だったの?

あさき 意思をもったコンピューターが埋め込まれているようなものかな。かなり重要なものとして度々出てきますね。

こみや この物語でラウンジ壁は何のためのものかって言うと、クラリスの言う「話をしているようで、何を話しているわけでもない」会話に、共通の話題を提供しているツール。ラウンジ壁で思い出したのは、最近周りの人たちが、結婚して子供を産むと、皆画面を与えること。アニメや映画を与えると、子どもたちはそれで大人しくなるから。僕はまだ子供がいないし、それはイマイチだよね、って斜に構えていられるけれど、怖いのは一旦子供を持ったときに、画面を与える楽さに気づいちゃうこと。

あなご 私が高校で国語を教えてる時も、テスト用にプリントを配ると、「文字ばっかりだからやだー」って反応が返ってくるの。授業中には視覚教材を使うから。本は読むのに時間がかかるけど、映像は瞬時に頭の中に入ってくる。だから子供たちが、共通の話題のために手に取るメディアとして、本ってとても古いよね。それよりはスマホのゲームみたいな、頭の一番反射に近いところで遊べる物を手に取るんだと思う。

あさき まさにラウンジ壁だ。

KC そう考えると、焚書係の人がいなくても、勝手に本はなくなってくのかな。

こみや いや、本に代わるものを提供している人たちが、昇火士の役割をしているんじゃないかしら。

KC あー、俺だ。だから止めた方がいいよ、キュレーションメディアとかソーシャルゲームに関わるの。

タカハシ 仕組みを作ったやつが勝ちですもんね。いずれにせよ、この先の日本って、知識や文化の格差と、経済的な格差が比例していくと思うんです。

KC そういえば、この世界の結婚って、すごいシステマティックで、そこに愛は無いんじゃないかな。

こみや 俺は、この本で書かれている市井の人は、そこまで人間性を失って描かれてはいないと思う。この社会の人達は、少なくとも会話によるコミュニケーションを否定しているわけじゃないのが救い。深い問いかけをされて感情を揺さぶられることを否定しているだけ。モンターグとミルドレッドは、出会った時はもう少し普通だったけど、この10年の間に社会に慣らされてしまったイメージ。

もーこ 私は266ページの、「シカゴだ」って思い出すシーンが好き。

あさき モンターグとミルドレッドの間には、シカゴでロマンスがあったんだと思う。私はここで、いきなり具体的なアメリカのイメージが湧いて、急に現実に引き戻された。私がアメリカに住んでいたこともあるのかもしれない。

こみや&タカハシ これは狙いで入れているのか、そうじゃないのか。フィクションから一気に現実の世界にリンクさせて、物語に血肉を与えようとする効果があったんじゃないか。

KC 狙ってないんじゃないかな?著者はアメリカ人だし、物語全般が実際のアメリカを舞台として書いていたんじゃないかな。

こみや 60ページの昇火士の服務規程の説明でアメリカは出てきたね。

タカハシ 通りの名前以上の、例えばミネソタ州、みたいな、具体的にイメージできる地名がでてこなかったのも、シカゴって言う地名が引き立つ理由のひとつなのかも。

こみや なぜか、モンターグが住んでるのは集合住宅に住んでいるイメージだった。ミルドレッドのところに集まる奥さん友達は、別の部屋から集まっているイメージ。

あさき 私は一軒家のイメージ。マンションはアメリカにあんまりないからかな。最初にクラリスと街を歩くシーンも、アメリカの少し郊外の町並みを想像して読んだ。ラウンジ壁が給料のどれくらいで、あたりの値段の話から、モンターグは社会の中で中の上くらいの家庭なのかと。あとアメリカで公務員って、他に仕事が無い人がなるような、日本とは少し違う職業観を持たれてる。

KC 金銭感覚でいくと、物語中のお金を、現在の値段に置き換えるとイマイチかな。「100ドル置いていくからこれで好きにしろよ」って言われても、たかだか1万円でしょ?

ベイティーについて

KC 俺はベイティーは一番好きなキャラクター。過去に色々なことがあったんだなって思うから、シンパシーを感じる。

こみや 「ベイティーは死にたがっていた。」のシーンには違和感があった。彼は本当に死にたがってたのかな。

タカハシ あの人は言葉の裏を取った先に本当に言いたいことがありますね。例えばモンターグにいろいろ厭味ったらしく言うシーンでも、実は似たものだと感じていて、だからこそモンターグの企みにも気が付いた。彼の過去には、このままこの社会のレールに乗っていくか、そうではないかを選ぶ分岐点があって、彼は前者を選んだんです。モンターグはそのレールに乗らなかった。ベイティーは、モンターグは最終的にこちら側に来るだろうと予見していた。

こみや そういう面の、ベイティーとモンターグの関係性は、会社組織を想像したな。過去に潰されたことを吹聴するおじさんとか…。

KC 半沢直樹と大和田常務みたいな。

もーこ 私は、後から考えると、ベイティーは最初からモンターグに対して「こいつになら殺されてもいい」って感じていたんたと思う。猟犬のデータを変えたのも、モンターグをけしかけて、その結果自分に反逆しても、引導を渡すならお前だ、って思ってたんじゃないかな。最後の最後の「固い笑顔」も、「それならそれでいいよ」って顔なのかなって。

タカハシ 本当に彼は死にたい、って思ってたんですかね?彼は挑発するだけ挑発して、最終的にはモンターグが大人しく捕まることを期待してたんじゃないかと。

あさき 結局お前もチキンだろ?っていう。私は、ベイティーは結婚していないと思う。少なくとも奥さんは出て行った。家に帰ったら誰もいない。あんまり友達になりたくはないかな。彼からは迷いと狂気を感じた。

あなご 40代な感じはしたね。頼れるアニキ、っていうイメージ。

タカハシ 僕、彼はだらしないカラダをしている印象です。ベイティーさんは最終的に自分に勝てなかったやつですよ?その辺りがお腹にあらわれちゃう感じ。

フェーバーについて

あなご 私はベイティーはあまり印象に残らなかった。ベイティーは演じたら一番面白いキャラクターであることに間違いはない。だけど、細部好きな私としては、139ページあたりでフェーバーさんの語る、細部の話は好き。物事の本質を描くには綺麗なことだけじゃなくて、汚い細部まで描かなきゃいけない。

こみや 物語を読む人、ってどういう人かって考えると、対象は人に限らず、本を読むにも限らず、自然でもなんでも、物事の細部を読む人、なのかな。ちなみにフェーバーは痩せぎすなイメージ。

あなご 嘘!私ふっくらしたおじさんのイメージ。座るときに膝をちょこんと揃えて座りそう。

もーこ 私フェーバーが、141ページで「本は、ちょっと待っていなさい、と言って閉じてしまえる。」っていう台詞が好き。私が本に対してそういう気持ちになることもあるからかな。本はコミュニケーションの対象になり得るんだ、って思った。

あさき でもそれは訳がいいんです。旧訳はどうなんだろう?

KC 「ちょっと待てというくらい、手もないでしょう。」このあたりの台詞の訳文は全然違う。新訳だと、モンターグ以外のミルドレッドたちが、テレビ壁に飲み込まれているような表現だけど、旧訳だとモンターグも彼ら側になっちゃってる。

あさき この部分は、旧訳の方が、直接もとの英文が想像しやすいから、どちらがいい訳か?って面だと甲乙つけがたいですね。

クラリスについて

KC しかしこの話はベイティーさんのお陰で理解が深まったな。

こみや それに引き換えクラリスは噛ませ犬もいいところだったね。魅力的すぎる噛ませ犬。

KC しかしクラリスが最初に出てきた時、俺はこう思ったな。モンターグ、ロリコンなのかな?って。モンターグには奥さんもいるのに、クラリスのことが好きになってるし。

タカハシ 男って皆、生物的にロリコンだって話がありますね。出産において、若いほうが有利だから。あと純文学に出てくる人って、ロリコンが多いですよね。

あさき 物書きがそういう人が多いからですかね。

KC 物書きは繊細な人が多いから、純粋無垢なものを求める。だからロリコンが多い、ってことかな。

こみや 49ページに出てくるクラリスの、「あなたが好きだからよ。それと、あなたになにも求めていないから」は、人間関係のひとつの理想です。

あさき その次の「きみと合っていると、自分がすごく年上で、父親みたいな気がしてくる。」は謎ですね。

タカハシ 改めて読んでみると、クラリスは男性が書いた女性っぽいなって言う気がする。

あさき 逆に、ミルドレッドと近所の奥様方の描かれ方も、男性から見た女性ですね。

もーこ ミルドレッド、いくら巻貝を耳にはめてるからといっても、もう少し描かれていて欲しい。そういえば村上春樹に出てくる女の子も、クラリスみたいに物語を引き立たせるための道具として使われる。

なぜ僕たちは本を読むのか?

こみや ここらでこの本の主題について話してみたい。タカハシくんの言っていた、「本を読むことの是非」または「本を読んで得られることの是非」or「本とはなにか」というテーマ。ここでは、「じゃあ僕らはなんで本を読むの?」って問いに置き換えると答えやすいかな?

タカハシ 一般的には、単純に娯楽として面白いから。知識や物の見方が広がるから。あたりがありますね。

こみや 世の中にはそれを面白いと感じる人と、そうでない人がいるけど、僕らは後者、ってことね。

タカハシ 一般論として、ですけど。僕自身について理屈っぽく考えてみると、本を読むことによって得られることが、そうじゃないことを上回るから本を読むんだと思います。読書で得られることってのは、絶対に会えない人と、絶対に言葉をかわすことができない人と、本を通じて言葉を交わすことができること。だから僕はソーシャルゲームをやらずに、本を読むんだと思います。

KC でも、特に小説を読むのは、その目的のための最短経路じゃない場合もあるよね?

タカハシ 僕はもう、あまり思想が入っていない、単純な娯楽小説は読まなくなったので、そういう小説を読むんなら映画とかを見ます。じゃあ、目的的な読書のために、実用書を読むのか文学を読むのか、っていう一般的な話をすると、即物的なものを求める人は実用書を読みます。それに対して、もっと長いスパンで自分の人生に影響を与えるもの、人間の本質をどうやって文字で表現するかについて、作家の方々が心を砕いたものを読みたいって無意識的に察知している人が、小説を読むんだと思います。僕は理屈っぽく考える性格なので、その2者は明確に分けて読んでいます。

こみや 僕は、特にこの本は、目的的な読書をするきっかけになった。最初に読んだときは、本の言葉を別の本の言葉で論破する、ベイティーに打ち負かされた。似たような経験のエピソードを話すと、大学で受けた、作家が講師の授業で、小説の一部を皆で読んで、それについてクラスで議論するっていうのがあった。そこで僕は、文章になった感想が自分の中から出てこなくって、ああ、僕は本を無批判に、ただ読むだけで終わってしまっている、って気づいた。

タカハシ いわゆる批判的な読書をしたい、ってことですか?

こみや おそらくそう。その結果、本を読んだあとに、自分の考えを文章化することは大事だと感じた。あと、本はただ趣味として読むだけじゃ十分じゃなくて、その結果、どんなに間接的でも、何かしら自分の行動につながるものだなぁと再実感した。フェーバーの語る本を読む効用その3にも書かれているように。

あさき 本を読むのは、小さい時から、「本を読むのはいいことだ、テレビを見るより頭がいいよ」って言われてきたからっていうのもあると思うんですよ。小さい時には本を読む習慣がなくて、一定の年齢になってから読み始めた人についても、「世の中的には読書が推奨されてるから、読むか」ってなんとなく本を手にとった人もいるんじゃないかと。象徴的なのは、さっき「なぜ人は本を読むの?」って聞かれた時に、うーん、って悩んだこと。でもその悩みすら抱かずに読んでる人もいる。

タカハシ 「本を読むことはめっちゃいいって言われているけど、実は毒もある。特に純文学なんかはね。」って吉本隆明も言ってますね。

こみや ああそうか。僕も子供の頃から最近まで、本を読むことについて無批判できたし、華氏451は能動的な読み方をするきっかけになったな。

KC 俺が本を読むのは、基本的に面白いからドリブン。本を読むのは、アニメや映画に比べても、ディティールをちゃんと描いていて、より本質を突いているから。映像化されたものは本に対して、伝えたいことをあるフレームでしか切り取っていないから、本を読むような自由度がない。それに内面を台詞でしか語れないから、ディティールが描かれ切れていない。別の観点での本を読む面白さは、どんな本の中にも、既に自分の中で考えたことのあることが7割くらい書いてあるんだけど、残りの3割が書かれているのを読んだ時に、「ああ、人間ってこの次元にまで到達できるんだ」っていう、山頂を目指すような発見、喜びがあること。

もーこ 私は世界の形を知りたい、世界を捉え続けていたいから、本や映画や演劇を鑑賞する。じゃあなんで本なのかって考えると、運動としての読書が好きなんだと思う。

あなご 私も、演劇や映画と本の違いってなんだろうって考えたんだけど、文字だけで世界をどうやって記述するんだろう、っていうのに興味がある。清少納言は、平安時代の世界を、最もよく記述してくれるから好き。

こみや 運動としての読書、ってどういうこと?

もーこ 内容が面白いというよりも、こう、ページをめくって、活字を吸収することが気持ちいい。セクシャルなこととか、食事とかと近い。文字を読む、っていう感覚もよくわからなくて、どちらかというと文字を摂取するっていう感じ。

タカハシ 本を読むっていう身体感覚の面白さってことか!

あなご わかる!この本の中の文字が摂取できるんだとしたら、さらさらーってコップの中に流し込んで飲みたいもん。だからアルファベットの形したマカロニが入っているスープは最高。でも文字はランダムに並んでいたら物語にならないから、物語の意図を飲むことで、自分の中で言葉が耕されていく感覚が、快感。あと、3/4くらいまで読み終わった文庫本を右手でもったときの、ダランとした残り1/4ページ分の感じが好き。そこで一旦本を閉じて、一晩寝かせて、そこから残りのページが減っていくのを楽しむ。これはもうフェティシズムだよね。だから絶対電子書籍は読まない。

タカハシ 身体感覚っていうと、僕は横書きの文章が頭に入ってきづらいんです。

あなご 身体感覚だと、右利きの人は本を右手で持つから、右からページをめくるか、左からページをめくるか、の差もあるのかな?古川日出男は、文章を書くときに、ディスプレイに横書きと縦書きの両方が出るようにして、両者の間に違和感が内容にして文章を書いているんだって。

あさき 文字だけで情景を表現することについて思ったのは、こないだモモの読書会で、時間の花が何色?って話をした時に、皆想像したものが違ったのは、本の持つ懐の広さゆえだなぁということ。映像化されたものは無条件に頭の中に入ってくるけど、本を読むと想像力を使うっていうか、頭の中で何かが起こっている感覚があるのが好きなんです。この手に持った本の中で起きていることと、自分の頭の中で起きていることがリンクしている感じが好きなのかな。

…という大きなテーマについて語ったあとで、タカハシくんの素晴らしいギターライブを聞いて…

おしまい

次回は1か月後、課題図書は「ガリヴァー旅行記」、次々回は2ヶ月後、課題図書は「夏への扉」です。

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