第十四回 ~安部公房著「箱男」~

参加者…みかこ(保育関係)、おおぐり(図書館の人)、あなご(国語の女教師)、谷(ギョーカイ関係)、こみや(エンジニア)、タイガ(出版関係)

 

今回の読書会で「箱男」を選んだ経緯

前回の課題図書はポール・オースター「幽霊たち」。その解説に、日本における「幽霊たち」的小説として「箱男」のことが触れられていた。両者の共通点は、ストーリーは比較的どうでもよいところ、書かれていることのうちどこまでが真実かわからないところ、どちらも主人公が覗き見を生業としているところ、そして不条理さ。

「箱男」について、その比較的どうでもよいストーリーを頑張って解説すると…

主人公は箱男。数年前から段ボール箱をかぶって、とある街のはずれで暮らしている。箱男の見た目はこんな感じ。

こちらのサイトより拝借 http://www.yuzamashi.net/tokushu/02hako/index.html

他の登場人物は、医者(偽箱男)、その愛人の看護婦、元軍医。元軍医は高齢でヤク中。医者が住んでいる病院の奥の部屋で、自ら軟禁状態のようになって過ごしている。元軍医を箱男として亡き者にしたいと考えた医者は、まずは本物の箱男に消えてもらうべく、看護婦を介して箱の買収を持ちかける。そんな、箱男と、医者と、看護婦のやり取りを中心とした物語。

どの辺が面白かった?

あなご
私はあたりまえのことを当たり前に表現する人が好き。この本では、『僕が箱暮らしを始めて、3年になる。』の、一人暮らし、みたいに普通に、【箱暮らし】って言う単語が出てくるところが好き。『ワッペン乞食』のエピソードも俊逸。ワッペン乞食ってその時代には普通にいたのかな?「昨日ワッペン乞食に会ってさぁ。ちょっと相手にできなかったんだよね。」「え、お前ワッペン乞食も相手にできないの?」みたいに、一般的に使われる単語なんだろうか。
あと、前回の「幽霊たち」の中に、ブルーの物を列挙するシーンがあって、「これ、日本語でやったらどうなったんだろうね。」って議論をしていたんだけど、この本の中にまさにそのシーンが出てくるの。157ページ。
最後に、『ア行の音を全部混ぜ合わせたような叫び声』っていう表現を読んで、安部公房は天才だと思った。
テレビでは絶対にできない表現ですね。箱男は今も昔も映像化がされていないんだよね。映像化しようとしたら、きっと小学生と女教師のエピソードでみんな「えっ」ってなっちゃう。段ボール箱って、今も昔も普遍的で変わっていないから、どの時代に読んだ人も同じような映像を想像するのはすごい。段ボールって暖かいしね。こみやくんは、箱に入るの好きそう。
こみや
好きだね。子供も段ボール箱に自分から入るし、ヒトはみんな段ボールが好きなのかもね。僕の高校時代の吹奏楽部の演奏会で、毎年何かしら演劇をやるんだけど、段ボール箱をかぶって手紙を持った「ポスト」の役が好評で、なぜか毎年の定番になった。
おおぐり
吹奏楽部は箱をかぶるのが好きかもしれないね。うちの学校は、ラッパのマークを箱に書いて、正露丸のテーマを吹いて、新入部員を勧誘してた。
あなご
私は子供の頃、跳び箱の中に隠れたことが会って、「これで誰も私のことを見つけてくれなかったら、帰れなくなったらどうしよう」って思ったのを思い出した。結局箱男は、箱男っていう設定を思いついたところが天才的。安部公房だと他に、かいわれ人間は、すね毛がかいわれ大根で、自給自足ができる男の物語。こちらも設定の勝利。
物語としては、「砂の女」のほうが完成されている。 砂の湿度というか、ベタつき感から、女の執念のようなものをちゃんと感じる。私が「箱男」を始めてチラ見した高校生当時は、このコラージュ感というか、とりとめのない感じが受け付けられなかったんだろうな。反面、アナゴさんも言っているけど、安部公房の着想は天才的。その点、三島由紀夫は発想に苦労したんだろうな。だから私は三島の手を抜いた作品が好き。「レター教室」あれは最高に面白い。「夏子の冒険」これを読まずして三島を語るな。
コラージュ感といえば、「箱男」の構成はどうなの。途中で意味がわからない写真が入っていたり、視点が突然メタ的になったり、全体的にとりとめがないし。編集者はこれを通したんだよね。
タイガ
「安部公房が書いた」と言えば売れるから、いいんですよ。
それが小説作家とシナリオライターの違いなのかな。シナリオライターは編集者に直されることが前提で台本を持ち込んでくるけどね。

どの辺が面白くなかった?

タイガ
皆さんこの本は楽しめましたか?ぼくは、楽しめませんでした。この本は安部公房が無理をして書いている感じがして、楽しめなかった。特に後半。医者と女の子のエピソードは頑張って膨らませようとしている感じがして、読んでいてこっちも疲れてしまう。また、全体的に箱男の一人称で書かなくても良かったと思う。例えば箱男を見た人の体験談とか、箱男からの手紙とか、箱男の一人称を一切出さない方が、むしろ面白いのかもしれない。
こみや
この話をポール・オースターが書いたらどうなっただろう。段ボール箱をかぶった男が、ニューヨークの街を闊歩するの。もっとカラッとした話になると思わない?この話がそこそこ有名になったのって、発行されたのが日本だから、なのかな。全体的に、男から見た女へのジトッとした目線とか、とてもウェットな話だよね。
タイガ
「ムーン・パレス」には段ボール箱がたくさん出てきましたね。本を詰めこんだ段ボール箱を並べて、ベッドとかテーブルとかにして生活している男の子の話。
ポール・オースターが書いたら、もうちょっとちゃんとした本になりそう。オースターはこの箱男というものを通じて何を表現したくて、この本を通じて世の中に何を訴えたかったのか、みたいな、輪郭のある議論ができる本になりそう。
こみや
もう一点、「箱男」「幽霊たち」双方から、とても男性視点を感じたんだけど、例えば、これ主人公の性別を入れ替えて、『箱女』は成立するかしら?隠れて相手を除き続けるお話。
あなご
ビニールの隙間だけで感情表現するのは嫌だよ。もっとたくさん感情を表現したい。女の人って、もっと見られたいんじゃないかな。覗きたい男性と、見られたい女性が、それぞれ一定数いる気がする。
どうだろうね。女性って人との関係性を求めて生きているからな。一時的避難場所として使う女の人はたくさんいる気がするけど、日常的に箱の中にいられる女性はかなりレアなんじゃないかな。男性に対して女性って見られたいのも同意。男性のタレントって実は女性に比べて少ないんだよ、私の研究によると。

現代の箱:SNSとの関わり方

こみや
女性の方が、見られたいと感じる人が多いことに関して。最近筋トレのモチベーションになるかなと思って、Instagramでマッチョな男の人をフォローしているんだけど、その人たちは自撮り多いよ。自分に自信を持っているから自撮りが多いのかな?
私もゲイの男をフォローしている(ゲイスタグラム)けど、色男多いね。世の中に一定数いた「見られたい人」が、SNSによって可視化された。中高生も自撮りが多いけど、彼ら彼女らは自分に自信があるわけじゃない。その証拠なのか何なのか、彼ら彼女らが自撮りをするときはとても「盛る」、つまり自分が可愛くなるようにいろんな編集をする。人間て、承認欲求の塊なんだよね。
解説
承認欲求という言葉が出ましたが、ここでマズローの欲求5段階説を振り返ってみましょう。
マズローの欲求5段階説
自己実現欲求
承認欲求(=尊厳欲求)
所属欲求(社会的欲求)
安全安心欲求
生存欲求
タイガ
箱男って、この枠から外れてますね。所属欲求を放棄している。小説の中でも、社会の枠組みから外れたから憎まれることもあるんだ、みたいな表現がありましたね。
こみや
最近SNSで違和感を覚えたのは、死んだ人のウォールに”RIP: Rest in peace(安らかに眠れよ)”みたいなメッセージを書き込む人について。人の死後も、「その人が死んだことに対して哀悼の意を示している私を承認してほしい欲求」に違和感をもったのかな。一方で、これからは死んだあとの自分のアカウントを管理する必要も出てくるね。
おおぐり
私の友人のご夫婦は、奥さんが亡くなったあと、旦那さんが奥さんのアカウントでお葬式の案内出してたよ。で、一通りのイベントが終わったら、「では、そろそろこのアカウントは閉じますね」って言って、閉じたの。キリスト教の死生観は明るいんだよ。
あなご
返事が返って来るのが怖くて、私は書き込めないな。箱男とSNSって、中に本当は誰が入っていてもわからないから、似てるね。ちなみに私はSNSを自分向けの日記としてよく使う。未来の自分から、過去の自分を覗くための。

 

・・・というわけで次回読書会は、三島由紀夫が力を抜いて書いた作品の代表作「夏子の冒険」になりました。

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