第十回 ~内田樹著「寝ながら学べる構造主義」~

レヴィ=ストロースは要するに、「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は决まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。

~あとがきより抜粋~

KC:この俊逸なまとめを論理的に言うために、この哲学者たちの仕事はあったんだナァ。

思想系の本、読んだ?

こみや:哲学、思想、新書にあたる本を読書会で取り扱うのは初めて。僕はこの手のはほとんど読んだことがなくて、いい機会だと思ってこの本にした。みんな、いつ頃、どんな風にこの本、ないしは思想系の本と付き合ってきた?

あなご:私が思想系の本を読むのは、現代の潮流を知っておきたいと思うから、かな。

KC:俺はこの本は読んだことはなかったけど、哲学書は大学生の時に結構読んでたよ。自分の周囲や世の中に対してもやもやしていた時に、自分の言葉を理論的に代弁してくれる哲学書に出会って、あ、これは宝箱みたいだ。と思って読んでいた。例えば畜群的な考え方の人がここまで多いのって日本独特なんだよね。それにモヤッとしていた時にニーチェに出会って感銘を受けた。…こういう人が文学部に多いんじゃないかな?

あなご:正解。そういえば、本に出てくるエクリチュールといえば東浩紀を思い出すね。

タイガ:前に東浩紀の本で読書会やったんですか?僕、別の読書会にも行っているんですけど、そこで「存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて」を扱ったんです。

KC&あなご:え、それは面白そう。

タイガ:思想系の本といえば、僕は高校生の時に「ネットスター」って番組に出ていた東浩紀に惹かれたんです。その後、ニコニコ動画に出ていた東浩紀の語りにただただハマっていた。…そのおかげで浪人したと言っても過言ではないです。

KC:ニコニコ動画の黎明期だよね。あの頃のニコ動は本当に勢いがあったからなぁ。…いやぁ、あの頃は良かった。それ以前はYouTubeも広まっていなかったし、東浩紀のような思想家を僕達が知るツールがなかった。

タイガ:彼はオタクの代弁者だったんです。当時、まだオタクが蔑まれていた頃、オタクは何かを発信したいし語りたい。その論理的根拠を東浩紀の発言に見出していたんだと思います。

KC:言われてみたら東浩紀っていいポジションだよなぁ。オタクは口下手だけど、語りたいことはたくさんある。東浩紀の説明は切り口が鮮やかで気持ちいいんだよね。今はオタクが大衆化してきてしまって、さらに東浩紀も語り方が過剰になってきてしまって、当時のような盛り上がりはないんだけど。でもタイガくんと俺は同じ時代のニコ動を観てたんだね。

みかこ:私は今回も課題図書を読みきれていません。だけど、命懸けの跳躍は大好きです。

構造主義と各学問への影響

あなご:寝ながら学べる構造主義は、国文学科の1年生の授業で読んだ。高校上がりの子たちがいきなり文献読み始めたら作者論に終止しちゃうから、「あなた方はこういうポスト構造主義の時代の読み方をしているんですよ。」っていうメッセージだったんだと思う。

KC:構造主義が出てきた時代から、どんどん人文学が科学のやり方を取り入れていくんだよね。科学が、同じやり方でやれば同じ現象が再現する、っていう再現性を根拠としているやり方を。だから理系からしたら自明なことばかりだと思う。

あなご:文献研究でも、「こういう読み方をすれば、誰が読んでもこういう結論が得られる」っていう再現性が重要視されるね。

タイガ:僕は日本史科でした。資料の読み方は、やはり構造主義に則っていたと思います。歴史上にスーパーヒーローがいたから歴史が動いてきたんだ、って考えるわけじゃなくって、地政学の潮流の中で、たまたまそこにその人がいただけなんだ、っていう。僕はこの本は、高校生の時に読みました。

こみや:構造主義が、科学のやり方を人文学へ取り込んでいくってことは、構造主義は科学側へは影響を及ぼさなかったってことかしら。

KC:科学と哲学は、常に互いに根本を揺らし合ってきているから、必ずしもそうとはいえないんじゃないかな。例えばソシュールの言語学は、今の人工知能、例えば自然言語処理に大きな影響を及ぼしている。

こみや:科学を工学と理学に分けると、理学、つまり世の理を紐解いていく学問のアプローチは、この100年くらい変わっていないんじゃない?工学の方は影響を受けると思うけど。モノづくりの対象である、人間の理解が深まるほどそのアプローチは変わっていくから。

KC:統計的な論証が使われるようになったのは、最近の変化だと思う。あと、理学にしたって、疑う対象の絶対性を崩すのは哲学に近いんじゃないかな。アインシュタインがそれまで絶対だと思われていたものに対して相対性理論を打ち立てたように。

 哲学辞典

寝ながら学べる構造主義 全般

さて、これ以降は、本日涙をのんで不参加のタカハシくんのまとめに従って、一章ずつ読んでいこう。

まえがき

この本は「入門者のためにかかれた構造主義の平易な解説書」である。
→入門書は専門書よりも「根源的な問い」に出会う確率が高い。なぜなら読者に対し課題提起することが、知的探求の起点である「私は何を知らないか」に直結するから。

第一章 先人はこうして「地ならし」した ―構造主義前史

1私たちは「偏見の時代」を生きている
現代は「ポスト構造主義」の時代である
→構造主義の思考法が私たちの中に浸透した後の時代。もはや構造主義は自明なもの。

☆構造主義的思考法とはなんぞや
・・・あるイデオロギーが「常識」として支配している「偏見の時代」を生きていると自覚すること。

2アメリカ人の眼、アフガン人の眼
A国から見た~戦争と、B国から見た~戦争は異なる
→違う立場から見ること、これが構造主義

3マルクスの地動説的人間観
自己意識(自分を俯瞰して見る能力)があるのは人間のみ。
→これは労働によってのみ事後的に生産される。

4フロイトがみつけた「無意識の部屋」
無知は抑圧(ある自称を認めない、あるいは知りたくないと無意識のバイアスをかけてしまうこと)に起因する。
→人間は主体的に考えることが出来ない。

5ニーチェは「臆断の虜囚」を罵倒する
周りと同じように振る舞う畜群道徳はクソである。なぜなら、その道徳的判断は「他の人と同じかどうか」を基準とするから。
→そんな外部に屈服せず、内的衝動で動けるのが貴族で、それを突き詰めれば超人になれる。が、結果これは反ユダヤ主義に墜ちた。

ニーチェが残した良かったもの

・・・過去のある時代における社会的感受性や身体感覚のようなものは「いま」を基準にしては把握できない。過去や異邦の経験を内側から生きるためには、緻密で徹底的な資料的基礎付けと、大胆な想像力とのびやかな知性が必要とされる、という考え方(P.57)


こみや:第一章を読むと、この辺の人たちのことがわかった気になるようなきがするのがすごいね。

あなご:こみやくん、バーナード嬢曰く、読んだほうがいいよ。


第二章 始祖登場 ーソシュールと「一般言語学講義」

1ことばは「ものの名前」ではない
英語のdevilfishは「エイ」と「タコ」の両方を含む概念
→言語によって価値が異なる。
つまり言語活動とは、観念に名前をつけるのではなく、名前がつくことで、ある観念が思考の中に存在するようになること。

2「肩が凝る」のは日本人だけ!?
英語話者は仕事の疲れを”肩”ではなく”背中”に感じている。
→言語のフレームワークを通過すると、物理的・生理的現象さえ一変する。

3私たちは「他人のことば」を語っている
・「心」や「内面」とは、言語を使った結果事後的に得られた効果である
→全ては外部から得たストックフレーズが巡って「自分の意見」として発信される


KC:モノに名前を付けると、必要以上にそのモノがもつ概念をそぎ落としちゃうことがある。人間ってモノの定義を深く考えて名付けているわけではなく、モノのシニフィエ:概念に対して名付けをしている。この点で人間と、モノの定義をきっちり決める人工知能の考え方って合わなくて、ここのブレイクスルーがないと人工知能は人間らしい知性を獲得し得ないんじゃないかって言われてる。

あなご:人工知能の話が入るとわかりやすいっすよ。

タイガ:でも人工知能やロボットが出てくると、そのうち労働を全部機械がやってくれて、人間はこうやって哲学談義したり、オリンピックしたりしているうちに生が終わるっていう、ギリシャ的生活ができるわけですよね。

こみや:今でも、ギリシャ的生活をやろうと思えばできるよね。物理的には条件は整っていて、あとは社会の仕組みかな。昔それを考えた時には、全員が投資家になればいいんじゃないかって空想したけど。

KC:もうちょっと言うと、会社でもロボットでも、生産するモノを所有することが価値を持つようになると思うよ。ギリシャ的生活でよくベーシックインカムの考え方が出てくるんだけど、そこには哲学的な問題が残ってる。ベーシックインカムの仕組みは生活保護と似ていて、財源は高所得者層から取って、低所得者層に再分配する、って仕組み。この再分配を合理的がどこにもない。高所得者層は、ある種ちゃんと働いていて、能力を活かした結果所得を得ているんだからね。オランダや北欧はベーシックインカムの代わりというか、再雇用の仕組みが整っている。その辺の国では、比較的簡単に人は仕事を辞めたり首になったりするんだけど、再就職までの支援の仕組みが整っている。

あなご:今日は語りますね、KCくん。


第三章 「四銃士」活躍す その一 フーコーと系譜学的思考

1歴史は「いま・ここ・私」に向かってはいない
現実の一部を切り取って他のものから眼をそらした結果、歴史を貫く一筋の線が見える。
例:誰の子孫であるかを語る際、大概は父方の祖父をルーツとする(他の祖父母は切り取られている)

2狂気を査定するのは誰?
狂人は別世界から来た者として神聖化されていたが、社会の発展とともに理解(非神聖化)され排除されるようになった。その査定をするのも司法から医療へと変わっていった。
→権力が「学術的な知」を介してより徹底的に行使されるようになった。

3身体も一個の社会制度である
ある身体運用を強制されると、それが社会的な記号として機能することがある。
例:途上国のデブ→金持ちの象徴 先進国のデブ→自己管理能力のない人

4王には二つの身体がある
・自然的身体 → 通常通り朽ちる身体
・政治的身体 → 王国の永続性を担保する身体
・・・大逆罪を犯したものには、自然的身体を破壊するだけではなく、王の政治的身体を毀損した罰として苦痛が与えられる。めっちゃ酷い。
また苦痛とは本人の生活のバックグラウンド(時代・文化)によって感じ方が変わる。絶対的ものではない。

5国家は身体を操作する
政治権力が臣民をコントロールするときの標的は「身体」
例:体育座り(身動きがとれず、呼吸も巧く出来ない)

6人はなぜ性について語りたがるのか
「抑圧からの性の解放」を呼応する言説は「社会の病的症候」である。その新しい言説が文学と医学であり、特に医学が全てを網羅的にカタログ化することは、権力装置として作用している。
→フーコーの言う「権力」とは国家権力やイデオロギー装置などの実体的なものではない。あらゆるものを知のカタログに登録しようとする「ストック趨向性」こそが権力である。


タイガ:フーコーは割と早く死んじゃったので、性のあたりはあっさり終わっちゃいましたね。ゲイで、HIVで死んじゃったんです。…ちょいちょい色んな事例が出てくるんですけど、事例の出し方にはツッコミどころがたくさんあるなと思いました。身体の制御のところで出てくるナンバ歩きって、実際にはないらしいですよ。ナンバを提唱した人も、疑問符が付けられる人物なんだとか。学校の先生が生徒を支配するために編み出したと言われる体操座りって、どうなんですか?

あなご:これは…どうだろう。でも体操座りって、実際にやってみると安心しない?

タイガ:どうなんでしょうね。そう刷り込まれているのかも知れませんよ?

あなご:多分体操座りっていう名前が狂気をはらんでいるんだろうね。私が勤めている高校で、体育祭観てぞっとしたもん。高校生でまで行進とかするんだ、っていう。

KC:それこそ構造的に、ずっとそれが普通だ、って思って育ってきたら、モヤッとも思いにくいもんね。留学や何かで海外に行く最大のメリットは、そういう視点の変化なんじゃないかな。


第四章「四銃士」活躍す その二 バルトと「零度の記号」

1「客観的ことばづかい」が覇権をにぎる
ことばづかいを規制している3つ
・ラング→日本語、英語などいわゆる国語
・スティル→各人の家にある言語感覚
・エクリチュール→社会や地域、年代などの集団がもたらす、ふさわしい語法。

どのエクリチュールにも属さない「客観的ことばづかい」には危険がある
→テクストは読者を「そのテクストを読むことが出来る主体」へと形成していく。

2読者の誕生と作者の死
出来上がったテクスト自体が、無数のエクリチュールが折り重なって出来上がったものであるから、それに対して「作者は何をいいたいか」などという問いは無意味。
例:リナックスOSについて

3純粋なことばという不可能な夢
語り手の主観をいっさい無くした、無垢なエクリチュールこそ、バルトが求めていたもの。
→そこで絶賛したのがカミュの「異邦人」と俳句。


タイガ:バルトの作者の死のところで、リナックスOSの話が出てくるんです。それまで文学の話をしていたんだから、文学の話で終わらせればいいじゃん、っていう。

KC:確かに!確かにオープンソースはエンジニアの名誉で動いているけど、実際オープンソースが産業で使われることはほぼ無いし、必要なところは特許で守られている。確かに、例えばGithubっていうコード公開サイトがあって、すごいコードを書いた人はそこで賞賛されるんだけど、結果的にその人には仕事とお金が舞い込んでくるから、純粋に名誉だけで終わることはないんじゃないかな。


第五章「四銃士」活躍す その三 レヴィ=ストロースと終わりなき贈与

1実存主義に下した死亡宣告
どんな決断をしたかによってその人間が本質的に「何者であるか」は決定される。この前段では、実存主義と構造主義の間に違いはない。
→実存主義と構造主義が対立するのは、「主体」と「歴史」に関わったときである。

2サルトル=カミュ論争の意味

3かくしてサルトルは殺された
私たちは全員が、自分の見ている世界が客観的にリアルな世界であって、他人の見ている世界は主観的にゆがめられた世界であると思っている。


タイガ:女の子供がいない男は、肩身狭いんですかね。そういうもんでもないでしょうに。

こみや:レヴィ=ストロースとニーチェって言っていることは同じなのかな?どちらも目に見える範囲だけで考えるなって言ってるんでしょ?

タイガ:ニーチェの場合は、畜群に埋没せず高みを目指せ、って言って、超人思想に結びついちゃったんです。反面、レヴィ=ストロースは、人は属している文化圏しか見えていないけど、そういうもんなんだ、っていうスタンスなんでしょうね。


思想系の本を読書会で扱うのってどう?

あなご:話題がこの本から離れなかったね。その点、小説って読まれ方に無限の可能性があるから、やってて楽しい。
こみや:読書会っていうより、勉強会って感じだったね。各人による読まれ方の背景には、各人の思想があるわけだし、たまにこういうのも織り交ぜていってもいいんじゃないかな。
タイガ:確かに、理解は深まりましたね。
みかこ:わかった気になりました。
KC:重すぎて、来る人を選んじゃうんじゃないかな?
あなご:大丈夫じゃないかな。じゃあ、5回に1回くらいのペースで混ぜていってみようか。

というわけで次回は、タイガくんの選書で、ミラン・クンデラ著「存在の耐えられない軽さ」になりました。

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