第十一回 〜ミラン・クンデラ著「存在の耐えられない軽さ」〜

ざっくり紹介

みんな
KC、この本、どうだった?
KC
軽かったね、耐え難いほどに。
みんな
そんなKCのためにストーリーを解説すると、この本は主に4人の男女の話です。
性に奔放 真面目
カップルA トマーシュ(♂)
有能な外科医。ヤリチン。
テレザ(♀)
元ウエイトレス。のち写真家。超純粋。
カップルB サビナ(♀)
やり手の芸術家。
フランツ(♂)
真面目で優秀な文系インテリ
みんな
舞台はプラハの春~ロシア占領下のプラハ、そしてたまにジュネーヴ。ただ、ストーリーというほどのストーリーは無く、著者の目線でこの4人を様々な視点から見て、さらにそこに色々なテーマが込められている、少し実験的な小説です。

 

映画版について

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あなご
映画版があったから買っちゃった。テレザが超可愛かった。トマーシュがイメージよりかっこ良く、フランツはイメージ通り。セックスシーンがとても多い。そして映画の時間は3時間と、とても長い。トマーシュとテレザの出会いのシーンとか、結構小説版からデフォルメされている。ロシア軍に占領された雰囲気は、映像化された方が感じやすい。
タイガ
クンデラ自身は、映画版が嫌いみたいですよ。この映画で懲りて、以降映画化はしなくなったみたい。この小説は内面を様々な角度から切り取るので、どうしても映像化が難しいんでしょうね。小説の記法と映画の記法は違うから。

 

小説の構造 ~クンデラはサビナ推し~

こみや
この本は全部で7つの部から成り立っている。「重さと軽さ」というタイトルの2つの部は、トマーシュとテレザに関する物語のあらすじを淡々と描いている。「心と身体」という2つの部は、同じ2人の、こちらは内面をジュクジュクと書いている。そして間に第3部であるフランツとサビナの話が入っている。だいたい第三者視点なんだけど、「重さと軽さ」そして「大行進」の視点は、一番長生きしたサビナが昔を振り返っているのかな?
タイガ
視点は一貫して著者クンデラですね。たまに、小説なのにメタ的に著者が著者として物語の中に見えることがあります。
あなご
第6部「大行進」の中に、人間を4つのカテゴリーに分けられる場面がある。ここで登場人物は全員どこかのカテゴリーに分けられるんだけど、サビナだけ入ってないの。クンデラは明らかにサビナを特別視してる。
タイガ
サビナはクンデラの推しメンですね。僕が読んだのは池澤夏樹の世界文学全集版なんですが、編者の池澤夏樹もそう言ってるんです。その分フランツには辛く当たってる、と。クンデラもフランツと同じ文系インテリじゃないですか。トマーシュの医者に対するステレオタイプの見方しかり、クンデラは自虐性をフランツに込めてるんじゃないですか。
こみや
そうすると、トマーシュとテレザは壮大なかませ犬ってことか。
あなご
「存在の耐えられない軽さ」しかり、随所に出てくる重さに関する比喩(そしてそれは往々にしておしゃれな直喩)は、サビナに関する場面が多い。そういう点からも、この本の中で、サビナは通常の人間以上の扱いを受けている。
タイガ
クンデラのお父さんは音楽家なので、クンデラ自身も相当音楽に対してこだわりはあったそうなんです。サビナも音楽をノイズとして退ける。ここも、クンデラがサビナに理想を託してるシーンですね。

 

クンデラ・パンチライン

この本、全般的にクンデラの思想が入っていて面白い。クンデラによるパンチラインの応酬である。例えば…

叙情的と叙事的。
叙情的な女好きは、いつも同じタイプの女を追いまわすので、恋人たちが変わっても誰も気づかない。叙事的な女好きは、トマーシュがこれに含まれるが、必然的に珍しいもののコレクターになる。

 

生まれ故郷を離れたがる人間は、幸せな人間ではない。

 

神と糞、俗悪的(キッチュ)なものについて

こみや
キッチュの定義ってなんだっけ?
タイガ
糞的なもの、人間が生きてく上で排泄する汚いものが、ないとして美化された世界です。
こみや
教科書で教えられる社会の姿とか、全体主義国家とか。全てのものに説明がつく世界。読んでないKC、神の世界に糞は存在すると思う?
KC
神は光あれって言って世界を作ったから…、地上にあるものは全て神界にもあるか、もしくは神の頭の中にあるんじゃないかな。

 

ピロートークに関するトーク

女と一緒に眠ることと愛し合うことは、相容れないどころか対立する行為なのだ。

タカハシ
ってとこ。言われたらわかるけど、意識したことはなかった。
タイガ
いや、するでしょ。
こみや
俺は眠ることとセックスすることは区別しないけど、興奮することと安心することは相反すると思う。
タカハシ
安全なところに逃げましたね。
タイガ
女性にとってセックスって、興奮より安心が上位に来るんじゃないですか?興奮が上位に来る、サビナ的な女性っているのかなぁ?
こみや&タカハシ
いる…いたよ。
あなご
第5部の22の終わりに、「人間が燕の姿を見て興奮し、性という攻撃的な馬鹿げたものに妨げられることなく、テレザを愛することのできる世界」っていうのがユートピアだと。
こみや
それは確かに真理だと思った。テレザがカレーニンに捧げる愛だね。性欲さえなければ、途切れなかった人間関係は幾つかあったからなぁ。
タイガ
だから僕は24時間テレビのたびに、「愛は地球を救う」ってキャッチコピーの裏で、#愛は地球をややこしくする ってハッシュタグでツイートして、毎年幾つかのファボをもらってます。僕は人を愛せない人だからなぁ。前に付き合ってた人と、行為が終わった後に、「大好き」って言われてゾッとしちゃった。重いのがダメなんです。タカハシくんはそこに幸せを感じるんでしょうけど。
タカハシ
僕も、付き合ったばかりのとき、「大好き」って言われて、引いたことはある。
タイガ
でも、「大好き」って言われたら「僕も大好きだよ」って返すしかないじゃないですか。それを言ってる自分にますますゾッとして。その時は、性欲に動かされたスポーツみたいな感じなんですよね。キッチュなことは嫌いなんです。
KC
ただの賢者モードじゃん。
タカハシ
ただ、その受け答えに慣れてくると、自然と心から、愛してるって言えるようになってきたんです。

 

僕たちはどうして恋に落ちるの?

こみや
愛情の「情」って必要なのかしら。タイガくんは、何かに情を感じるものはあるの?例えばタイガくんが率いてる楽団に対して、とか。
タイガ
その楽団という作品に対してはありますね。その中にいる人に対してとても強い情があるってことはないかな。
KC
「これがしたい」って目標を立てた時に、情に流されて判断すると絶対失敗する。合理的な判断が取れなくなって、結果どこかで取りきれなくリスクが出てくる。
タカハシ
人って合理的な判断をするには精神的な安定性が必要で、一方で誰しも精神的なアップダウンがある。そのアップダウンが楽しいこともありますね。
タイガ
合理的な判断をしていたトマーシュも、テレザが来た時に「籠に流されてきた」っていうロマンチックな受け止め方をする。それには何の根拠もなかったかもしれないんだけどね。だから彼女との情を育んでいるタカハシくんも、何かしらの情的な体験があったんじゃないの?ブレーキの効かなくなったバスから一緒に脱出した、とか。
タカハシ
ないわ。うーん、あ、でも身内で人が死んで弱ってた時に、彼女の前で号泣したことはある。久々に人前で泣いたとき、あ、俺、いまこの人に心を許したわ、って感じた。
KC
吊り橋効果だ。喪失を意識したこととかない?何かを大事なものを失うことを意識したとき、そこに誰かが入っちゃって、その人がそこに居座ると、それが情になる。
タカハシ
それは…あんまり理屈っぽく考えたくないですけど、言われてみたら、なるほどねって思う面はあります。
こみや
僕は、「この関係をどう定義しよっか。付き合ってるっていうのが一番しっくりくるし、迷わないんじゃない?」って話し合いをして、いま彼女と付き合ってる。
タカハシ
文化的な匂いがプンプンしますね。
タイガ
でも大事大事。僕らはそういう教育を受けてきちゃってますからね。もうここまで来ちゃったら、言葉を上手く扱えない相手とは付き合うことができない。ビッグダディみたいな、性に任せた家庭を築くことはできない。
あなご
心理学をやってた女子としては、好きになられた男は、なぜその人が恋に落ちたのかを分析しちゃう。だから付き合うなら分析する必要のない、裏表のない人がいいな。心理系女子あるあるなんだけど、変に裏表のある人だと、思わず分析しちゃって、その人に対するディスりを止められない。坂口恭平くらい、良いところも悪いところも全てをさらけ出してくれる人なら大好きなんだけど。かつ、躁鬱性があって分析対象としても楽しいでしょ?
タカハシ
それは…大変ですね。

 

トマーシュの末路について

こみや
トマーシュも裏表はないね。女と付き合うルールとかも、自分をはっきりわかってる人じゃないと、ここまで明確に表現はしない。テレザはメンヘラ入ってるのかな。眠る時もずっとトマーシュの手を握りしめているし、しかも8歳の時からその練習をしていたっていう。
あなご
テレザには、サビナにとっての「絵を描く」みたいな、自分の確固たる軸がないからね。ただ、それって普通なことなんだよ。テレザが重く見えるのは、トマーシュとテレザの組み合わせだからなんじゃないかな。テレザはスーツケース1つで男のところへ向かったり、写真を撮ったり、むしろ比較的自立的な女性なんだよ。
こみや
その辺の行動が、自立的なのか、それとも母親から逃れるために、青い鳥を求めて藁をも求めて出てきたのか、で見方が変わってくる。なんにせよ、テレザとトマーシュの組み合わせは互いに貶めあっていると言える。
タカハシ
一方トマーシュは、理性的すぎるほど理性的、かつ、セックス依存症。でいて、最後の最後はテレザと一緒に田舎に逃れて、色々諦めた感をもって自ら幸せだと認める。これは、例えば結婚したサラリーマンがリスク取れなくなることに似てる印象を受ける。
タイガ
使命を感じて医者になったトマーシュは、最後に、医者から清掃員みたいな仕事に落ちぶれた後、「でも医者の使命なんてどうでもいいんだ。自分が自由で使命なんてないと気づくのは、とてつもなく楽なことなんだ。」って言って、テレザとの生活の軽さを引き受ける。…結婚して、会社員をやりながら、子供を育てるっていうのは素晴らしいことでありながら、僕には合わないと思っちゃう。確かに、結婚してから、会社立ち上げるぜってなかなか言わないですね。
こみや
俺は結婚も、会社に縛られない生き方も、両得できたらいいなーと思う。
タイガ
両得は、まぁできなくは無いでしょうけどね…。
KC
経済合理性から考えて最強なのは、そこそこの大企業で窓際社員をやりながら、定年まで逃げ切ること。最悪なのは、大企業で管理職になること。もらえる給料と負わされる責任の比率を考えると、大企業で責任を持つのが一番分が悪いよ。

最低な帯体験

タカハシ
しかしどのへんが「究極の恋愛小説」なんだろう。テレザがとても純粋な人だから、彼女を愛することができるってのが究極ってことかな。
タイガ
まぁ帯文って売れるためにあるからね。
タカハシ
帯文って、著名人から買ってるっていうのが、出版業界入って結構衝撃的だったことですね。
タイガ
「ビジネスマン必携」みたいなことが書いてあった、とある哲学辞典の話。その帯文を書いた先生が後日言ってた衝撃的なセリフが、「哲学がビジネスの役に立つわけないじゃないですか」って。これまで出会った最低な帯体験は、まさかの岩波文庫。ブッダの本の帯文に、「生きよ、そなたは美しい」みたいなキッチュなことが書いてあったの。だけど原典あたって読んでみたら、それはブッダを生への執着に引きずり込もうとする悪魔のセリフなんだよね。編集者読んでないじゃん、っていう。一般受けすると思ったんでしょうね。

 

この本を読書会でやって、どう思った?

タカハシ
素直に読みが深まりました。そうするともう一度読んだときにまた新たな発見があるんだろうな。
こみや
もやもやしていたところが言語化できたのは気持ちよかった。今回、あまり深掘りはしなかったけど、要素要素を深掘りしたらいくらでもいけそう。数年おきにやってもいいかも。
あなご
トマーシュがそこまで悪いやつじゃないってことがわかった。最初読んだときはこのチャラさがダメだったんだけど、トマーシュの考え方への理解と、女性から見たトマーシュの魅力を再発見した。
KC
この本を読みたくなった。

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