第一回〜ミヒャエル・エンデ著「モモ」〜

登場人物…あさき、みかこ、あなご、KC、もーこ、ふんず、こみや

自己紹介 ~モモとの出会いを絡めて~

こみや:子供の頃から、本は児童書が好きな母親から与えられていました。モモはずっと、印象的なハードカバーの背表紙を眺めるだけの存在でした。今回読書会をやるにあたって、モモいつ読んだっけ?って聞いたら、小学校高学年か中学校入りたての頃に読んでいたみたい。何故か「ゆっくり歩くほど、早く進む」シーンを、映像としてよく覚えていました。同じ頃にはてしない物語も読んでいました。

もーこ:モモとの出会いは、中学校での演劇部の部室でした。モモの本がロッカーにあって、ぱらぱら見たのが出会いです。今回、読書会のために、初めてちゃんと読みました。「時間泥棒」ってワードだけ頭にあって、もっとバリバリ泥棒と戦うバトルものだと思っていたので、イメージと違って驚いた。

あさき:私も子供の頃にモモを読みました。モモを読み終わった後にもらったぬいぐるみに、モモって名前を付けて、今も大事に持ってます。職業はおもちゃ屋さんで働きつつ、絵を描いています。

みかこ:私は大学の時に、主に認知心理学を学んでいました。脳科学に近い、認知神経科学に一番興味があります。モモとの初めての出会いは、小学校中学年くらいの頃に、オススメの児童書のコーナーの一覧の中にありました。私の母親も教師なんですが、母親と、担任の教師からオススメされました。でも私は子供ながらに、人から勧められたものを読むのは嫌いだったので、その時は読まず。ちゃんと最初に読んだのは、高校か、浪人時代かなっていううっすらとした記憶があります。

あなご:私はあなごと呼ばれています。高校の先生をしています。自己紹介で「あなごって呼ばれています」って言うと、ざわつかれます。
一同:(ざわつく)
あなご:私は子供の頃にモモは読んでいませんでした。演劇をやっていたので、高校の頃から中野の劇場モモっていう劇場に通っていましたが、その時はこの本から来ているとは知らず。4~5年前に塾の先生をやっていた時に、小学6年生の国語の問題にモモが出てきたんですね。で、教えるんなら全部読んでみたほうがいいかなと思って、読んでみたら結構面白かった。私は千葉の絵本屋さんをやっているおばあちゃんと仲が良いんですが、そのおばあちゃんの口癖が「モモみたいな時代になってきた…!」。それでちゃんと読むようになった。はてしない物語も好きです。エンデ自体にも面白いところがあって、ずっとエンデに興味を持っていました。古本屋で「自由の牢獄」って本を買っているんですけど、読んでいないですね。これは装丁がすごく綺麗で買ったんだけど、読んでいない。

KC:僕は最近までスイスで働いていて、3月に日本に帰ってきました。モモとの出会いは、…なんだったかな?…Amazonとかだったかもしれない。モモを子供の頃に読んだことはなくて、大学を出るくらいまで存在も知らなかった。その頃ドイツ文学の解説本か何かを読んだ時に、モモの時間泥棒に関する引用があって、誰かが「モモみたいな時代になってきた」みたいなことをその本の中で書いていた。で、面白い、いずれ読みたいなと思っていたところに、今回の課題図書一覧の中にモモがあったので、モモを押しました。

ふんず:俺は奥さんに、モモってハードカバーのオレンジの本だって言われてたんですけど、俺の中では黄色の本だったんですよ。ほら。
一同:色褪せてる!
ふんず:そう。ずーっとこの状態で見てたから黄色い本だと思っていたんだけど。で、俺はこの本を知らなくって、でも時間泥棒って言葉は、聞いたことはあったんですよ。いいネーミングだなって。で、実際に読んだのは、読んでません。今回は、僕の得意な、あとがきとあらすじ、そして最後の数ページを読んで、入選するレベルの読書感想文を書く能力を使って行こうかなと思っています。でもすごい、面白そうな本だなとは思ってます。
こみや:何の説得力も持たない言葉だね。
ふんず:そう、読んだこともないくせにAmazonのレビュアーとして載ってる、みたいなのに憧れる。今日も皆さんの感想を聞けたらと思って、にわかに参加してる感じです。

テーマ1 ~時間泥棒が盗んだ時間って、どんな時間?~

こみや:読み終わって一番最初に思ったのは、時間泥棒が盗んでゆく時間って、どんな時間なんだろう?ということ。最後の最後で1時間しか時間が残されていないってなったときに、カシオペイアがモモに「時間を無駄にしないで」って言っていて、あれ?モモも時間泥棒と同じ発想だ、と思った。あと、俺は本を読んだ時に、口達者な悪役が善人を説得するやりとりが印象に残るので、今回で言えば時間泥棒が床屋のフージー氏を説得するシーンや、モモを説得するシーンが印象に残った。特に時間泥棒がフージーさんを説得するときは、「あなたも幸せになりますよ」というニュアンスで説得しているのに、フージーさんは時間を盗まれた後は幸せとは程遠い姿になっている。それはなんでだろう?とか。時間が盗まれるかどうかは、その時間の目的の違いなんじゃないか。じゃあその目的の違いはなんだろう。と考えると、その目的が自分の中にあるか、なにか漠然と他者の持っているものを羨ましいって思うことからくる目的か、そこの違いじゃないのかなって思った。

あなご:時間泥棒がフージーさんに、無駄になった時間を計算するところ。「合唱団の練習に行く、行きつけの飲み屋に行く、本を読む」って出てくるんだよね。本を読むっていうのが無駄な時間だって言われて思い出したのが、最近友人に「小説を読む時間が無駄だと思う」って言われたこと。その友人は応用行動分析をやっていて、全部行動に因果関係を求めて分析する人。私は元々国文学科で、それから心理学科入ったら、やっぱり同じように小説無駄だっていう人がすごく多かった。「小説を読むよりも実用書を読む方が、すぐためになる。小説を読むと時間が無駄になっちゃうから」っていうのを遊んでいる時に言われて、すごく衝撃を受けたのを覚えていて。私はできるだけ時間を無駄にしたくて。私には時間を積極的に無駄に使う友だちがいるんですけど、その友達との時間が私の心の平安になるというか。最近Twitterで回ってきた島本和彦の漫画で、「時間が人を制すのではない、人が時間を制すのだ」って言って、寝るシーンがあったんですよ。今寝てる場合じゃないですよ!みたいな。こみやくんの話に戻ると、無駄な時間って、なんなんだろう。って。

ふんず:僕の人生の経験上の話なんですけど。よく「全ての時間は無駄ではない」っていう先人がいると思うんです。僕の中ではそんなことはないと思うんですよ。これは「全ての時間は無駄ではない」じゃなくって、「ほとんどの時間は無駄」なんです。やってることのほとんどは無駄。なんだけど、そこがキーワードになっていて。無駄か無駄じゃないかっていうのは、その人がその無駄にしてしまった時間っていうのを、無駄に使うかどうかなの。だから今ここで話していることも、もしかしたら無駄かもしれないんだけど、ここでやっていることがこの後につながるような人生を歩んでゆけば無駄ではない。だから無駄じゃない時間を創りだすっていうのが、本当の人生の歩き方なんじゃないかなって。さっきの本の話に関して言うと、小説を作る人が無駄になってしまうのか?でも小説を作る人というのはいなければいけないと思うんだよね。

みかこ:私は時間泥棒が奪った時間というのは、何かに感動することだったり、いろいろ人の想いを聞くことだったり、自分の人生につなげていくことができる、豊かな時間なんだと思います。私は小説は、違う人になれるし、違う人の感情を体験できるから、すごく好きなんです。だからいまの話で、その小説が無駄だっていうことに衝撃を受けました。私は自分の職業の選択肢が色々あった中で、今保育関係の仕事をしてるんです。だから違う専門の職業の人が、その観点から書いた小説っていうのがすごい好き。例えば又吉の出した本とか。その人にしか体験できないことをその人が書いているから、深入りしちゃって。ああ、こういう職業の人は、こういう風に感じるんだ、って興奮するんですよね。

KC:人生って結局時間の積み重ねなわけじゃん。その瞬間その瞬間が豊かな時間で、それが最期まで続いたとして、それを全体として振り返った時に、「豊かな人生をおくれた」って話になるわけじゃん。だからその小説とかを読んで、例えば今時間を豊かに過ごせたって思うことが、次の瞬間次の瞬間に続いていけばいいんじゃないのかなぁ。そしたら今小説を読んだって行為は無駄じゃないよなぁ。と思う。

もーこ:私さっきの、合唱や何かに使う時間が無駄だ、のくだりで、ダリアさんに会いに行くのが無駄だっていうのがあって。結婚しないんだったら無駄になって、結婚するんだったら無駄なんだって。誰が決めるんだろう、それ?って思った。そしてフージーも、好きなら「結婚できないけど、無駄じゃないんだ!」って言えよ!まじフージー何なの?

あさき:煮え切らない男なんですね。

テーマ2 ~遊びについて~

あさき:モモを読み終わってからこみやくんと話をしていた時に、グサグサ来る、って聞いていたんですけど、どの辺だったのかな?って。

こみや:遊び方が苦手なところが刺さった。特に時間泥棒の侵略が始まった後に、円形劇場に集まる子どもたちがどんどん遊び方を知らなくなっていく。僕も空想するのが得意な方じゃなかったなって。

あなご:私も一番気になったのは遊び方。私とみかこちゃんは、大学で、子供に遊びを教える団体活動をやっていた。それは、遊びを通じて子どもたちにソーシャルスキルを身につけさせるという目的のもと、遊び方を教える団体だった。その団体で教えられる遊びも、まさに全部目的のある遊びだった。私はなぜそれを教えなきゃいけないんだろう?と思って、すぐにその団体を脱退しちゃった。その団体だけじゃなくって、学童も目的のある遊びを教えていた。子どもたちが、大人の作った目的以外の遊びをし始めたら、その場の大人たちは遊びを止めに入っていた。最近の子供はそういう面が多くって、塾に行くか、そういう場所で遊び方を習って遊ぶかで、公園にはめったに行かない。それがなんだか悲しいって、モモを読んでて思った。その団体の主催者は、趣味がない男の子。「遊び方は教えなきゃわからない」が口癖だった。彼も小説読まない人だったな。遊びの会の人が、遊びを知らないって言われている。

みかこ:その団体で私も、子どもたちから「同じ遊びばっかりやっていて、楽しくないんだけど、誰々ちゃんに会えるから行く」っていわれたこともあります。

あさき:私はおもちゃ屋さんで働いているので、時間泥棒がビビガールの良さをモモにアピールするシーンで結構グサグサ来た。うちもマーケティング手法でそういう所はあるんですけど、うちには子供が決めることができる余地を残すために、超えちゃいけないラインがあります。例えばお人形に名前を付けない、とかね。でも最近おもちゃ屋さんで売れているのは、遊び方が決まっているものの方が多くって、あんまり広がる余地が少ないなぁって。もちろんバラエティはいっぱいあるんだけど、一番売れているのは例えば※※(伏せます)みたいな、役がはっきりしているもの。もちろん誰しも子供時代に、ヒーロー/ヒロインに憧れた経験はあるだろうから、それは良いことだと思うんですけど、そればっかりになっちゃうと遊び方がわからない子供になっちゃうのかもしれないのかなって。私は何もない山の中で育ったので、例えば何もない砂場が海になったり山になったりすることはよくあったんです。

みかこ:砂場が海になったり山になったりするのは、どこから出てくるんですか?保育士さんやお母さんが決めるの?

あなご:自分の頭の中から出てくるし、友達がそこにいたら、どんどん広がっていくよ。私は大体幼稚園から、小学校6年生くらいまでずっとそうだった。幼稚園の高学年くらいの頃に、見立てが上手くなる時期がある。

みかこ:それが今じゃできないから、子供を見ているとすごいなぁって思うんです。

あなご:演劇は最初は遊びから始まる。最初は稽古場に箱とか椅子とかしかないから、妄想をかきたてていくしかない。役者にも、その作業に没頭できる人と、そうじゃない人がいる。

もーこ:私は没頭できる。私は新聞紙で遊ぶのが好きなんです。数年前に、3歳位の子供のベビーシッターをやったことがありました。その子の親は比較的お金持ちで、子供のおもちゃは全部揃っていた。私はそれが嫌で、そこに新聞紙を持ち込んで、子どもとチャンバラなんかをして遊んでいた。そうすると、音が出たり光ったりするおもちゃのベルトと、新聞紙をねじって巻いたベルトが、子供には一緒のおもちゃに見えている!ってわかったのが衝撃的な体験でした。そしてそれは、普段演劇で私がやっていることと同じなんです。

KC:遊びに関しては、誰かから名前が付いた役割を与えられる方が楽だよね。それは子供に限った話だけではなくて、例えばスマホのソーシャルゲームもそう。昔のゲームは色々プレイヤー側にやることがあったんだけど、最近のソーシャルゲームは「このタイミングでこのボタンを押す役割をしてください」っていう、説明がしっかりしているゲームが流行っている。社会の傾向として、みんな考えるのが面倒くさくなってきているんじゃないかな。

あさき:今日ここに来ている人は、この本を読んで、「あ、私は時間を奪われているかもしれない」ってグサグサ来る人は少ないんだろうと思います。それに多分、グサグサ来る人はまだ救いがある人なんです。そもそもこの物語を読もうとしても読めない人、考え方がカチコチの大人になってしまった人はたくさんいるんだろうと思います。

こみや:実用書・ビジネス本・自己啓発本しか読まない人と、そうじゃない人の違いはなんだろう。男女の性差はあるのかな?

KC:男は仕事をするってのが、社会で言われていること。だから仕事で成功することを目的にしがち。そのために小説を読むのは効率的じゃない。仕事で成功するためには「○○仕事術」みたいな自己啓発本を読んだほうが効率がいいんじゃないかって、思うんじゃない。

こみや:まさに時間泥棒の口上だね。

テーマ3 ~ジジについて~

こみや:ジジについて気になることが2つ。1つ目は、ジジは時間を無駄にしない社会の中で、物語作家として成功してゆく。この社会の中で、まだ物語は求められているの?っていう疑問。

あさき:ジジはモモのために取っておいた、大事な物語も最終的には使ってしまうじゃない。それでも、それに気づかずにどんどん物語を飲み込んで、消費してしまう社会が求めているものって、多分物語じゃないんだよね。それこそ、頭を使わなくても反射で楽しめるような娯楽なんじゃないかしら。

KC:ジジのやり方はまさに今のテレビやソーシャルゲームみたいなのと同じだよね。

あなご:余暇を有効に使おうと思うから、物語自体に興味はなくても、より多くの物に手を出しちゃう、でも一個ずつは深まらない、っていうのに似ている気がする。大衆小説は売れるけど、純文学は売れない、みたいな。ここでいう大衆小説は、直木賞系、例えば三浦しをん、船を編む、東野圭吾など、だれでも読めるエンタメ系。純文学は私小説なので、綿矢りさ、田中慎弥、昔で言う、芥川龍之介、太宰治など、何か面白いかわからないものが大半。あくまで自分の心理を掘り下げたもの。新潮とか、文學界とか、純文学系の雑誌に載ると純文学と言われる。最近境界線は曖昧なんだけどね。

KC:ストーリー性の薄い、ただの心理なんだけど、読んでほしい。露出狂みたいだね。

こみや:2つ目は、同じく物語作家ジロラモの、「人生でいちばん危険なことは、かなえられるはずのない夢が、叶えられてしまうことなんだよ。いずれにせよ、ぼくの場合はそうなんだ。」っていう台詞について、なるほど、と思った。夢、目標のたて方によっては、叶えたあとに燃え尽き症候群になっちゃうな、と思った。

みかこ:1億円手に入れたらどうしよう。とか。

あさき:海賊王になりたい、的な夢ですかね。

KC:ソマリアに行けば海賊になれるよ。

KC:目標のたて方については、目標を自分でたてたか、周りから与えられたかによる。誰かから与えられた夢は、叶えた後に虚無感が残る。自分自身で目標を設定できる人は、ひとつ目標を達成した後、次々に自分で目標を設定することができる。それって結局、さっきの話の自分で遊びを自分自身で生み出せる人、っていうのと同じなんじゃないかな。

こみや:俺が一番しっくり来た、叶えられた危険な夢の経験は、大学受験。僕の場合は叶えられるかどうかが問題なんじゃなくて、目標の設定の仕方が問題だった。自発的に受ける大学を決めたっていうよりは、偏差値だけ見て決めていた。その後も、目標をどうたてたかっていうよりも、色々経験してきて、それらを後からどう意味づけるか、っていう生き方をしている。

ふんず:大学受験って、そもそもそういうもんなんじゃないの。受験生に「大学に行って何するの?」って聞いても誰も答えられないし、入ってすぐに辞めちゃうやつもいるし、それはそれでいいんだと思う。

あさき:時間泥棒がジジを最初になんとかしようってなったのは、彼が一番簡単だったんじゃないかと思います。普通の人なら、大学に入るとか、内定を取るとか、そういうのはスタートじゃないですか。でもジジはそこまで深く物事を考える人でもないから、達成した後に、困っちゃったんじゃないかなぁと。逆にベッポは、明確な目標があるわけじゃないけど、それでも生きていける人なんじゃないかなぁ。

KC:ベッポで印象に残った台詞がある。「つぎの一歩のことだけ、つぎの一呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。…するとたのしくなってくる。…ひょっと気がついた時には、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやり遂げたかは、自分でもわからん。これが大事なんだな。」ってとこ。そこも、時間貯蓄銀行からしてみると、やりづらい面だったんだろうね。

テーマ4 ~時間の花の描写と、本当の名前について~

もーこ:時間の花って、皆どんなのを頭の中に描いたんだろうっていうのにすごく興味がある。私は一度読んだ時に、うまく想像できなくって何度も読み返した。光の柱があるのに水面は黒くって、なんで水面は照らされていないんだ?みたいな。花が何色かっていう描写も出てこない。私は小説読むときに感情移入をしないようにしている。演劇の、それも演出を生業にしているからかもしれない。世界はイメージの外側にあるから、世界を狭めるようなことはしないように努めている。本の中で語られている人についてもわかるわけはないんだから、感情移入するようなおごったことはしない。

KC:花の色は、勝手に赤だと思ってた。村上春樹の情景描写は上手いよね。あの人の書き方は、一行で書けばすむことを、部屋の隅っこの細部の細部まで描いて、最後のセンテンスで初めて意味がわかる。…何の話だっけ。

こみや:僕はどっちかっていうと花より振り子を具体的にイメージした。銀色の、ボウリング玉級の金属球。こないだチームラボ展を見に行ったんだけど、この花は4Kみたいな高精細な画質のCGで、あえて可視化してみてもいいんじゃないかと思った。この花を実際に描いてしまうっていうのは、貧困な発想だとは思いつつも。簡単なアルゴリズムから、コンピューターが人の予想もつかないような綺麗な花を描いてくれる、っていうのは、この花と相性が良い気がした。

みかこ:私の花は虹色でした。振り子の色は金色。

あなご:私うすもも色の、蓮の花に近いものをイメージした。私も振り子は金色。

もーこ:視点はちょっと違うけど、花はどんどんレベルアップしていくから、最初の花はしょぼかったのかな、と思った。

KC:時間の花は人生のメタファーだよね。今この瞬間が、こんなに美しい、っていうことの。その瞬間が次から次に訪れる。

こみや:そしてその美しさの表現の仕方を覚えて、モモは帰っていく。

~ここで愛蔵版の表紙裏の、エンデ自身によるモモ表紙試案を見る~

あなご&KC:ああ、この花だ!イメージしてたやつ。でもモモはこんなに浮浪児っぽいんだ。

もーこ:あと、時間の花のすぐ後に出てくる、本当の名前が歌の中に聴こえる、っていうのが大好き。「それは、太陽と月とあらゆる惑星と構成が、自分たちそれぞれの本当の名前を告げている言葉でした。」っていうところ。ゲド戦記の1巻にも、すべてを司る本当の名前が出てくるシーンがあって、そこも好きなの。本当の名前を手に入れると、その相手にいうことを聞かせられちゃう。名前は管理のために付けられている面はすごくあって、その管理から解き放たれた本当の名前をモモが知る。

あなご&KC:記号論にシニフィアン(signifier:記号表現)、シニフィエ(signifié:記号内容)って出てきたね。

みかこ:名前ないと区別つかないですもんね。

あさき:そうですかね。別に名前つけなくても、わかるんじゃないですかね。名前をつけることを否定しているわけじゃなくって、例えば私は絵を描きますが、絵の具の色の名前っていうのは、自然の中にただある色に、人間が勝手に名前を付けたに過ぎない。あと、本当の名前っていうアイディアに関して言うと、千と千尋の神隠しみたいな、名前を奪われたら帰れないって言う設定にも、通じるところはあるんじゃないのかなっていうことも思いました。

ふんず:名前って日本では呪縛にも結びつけて考えられている。名前を付けたことで、その名前から想起されるイメージから抜けられなくなっちゃうこともある。陰陽師も言葉で全てを司るって聞いたことがある。

あなご:私一人で神々の遊びをすることがあるの。物の名前をつけるって言う遊び。例えばこれをじっと見て、「お皿!」って思うまで見続けるの。それで、「お皿」って思った時に、私がこれに名前を付けた、って思う遊び。そういうことをしていると、うまく説明はできないんだけど、なんとなく名前を付けた人の気持ちがわかるようになってくる。

~ここからしばらく、皆の自分の名前と、その由来についてしばし談義が始まる。見知らぬ誰かに本当の名前を知られて、その人に呪いをかけられたら困るので、ここは割愛することにします。自分の名前を気に入っている人、嫌いだと思っている人がいること、世の中には十人十色の名前のつけ方があることがわかりました。~

テーマ5 ~全体を通じて~

あさき:私今回モモを読むのは3回目。最初は小学生の頃、2回目はちょうど10年前の中学生の頃。私は今回読んでグサグサ来ることが少なくて、前回と同じ面白さ、感動のままでした。このくらいの分厚さの本って、読んでいると段々愛着が湧いてきて、最後ほんのちょぴっと残ったあたりで、一緒に冒険した登場人物たちと別れが惜しくなっちゃう。別の本では、子供の頃はもっと面白かったのに、色あせてしまってがっかりする本だったり、逆に新たな発見があったりする本があったり、3パターンに分かれると思います。私は、モモは感動が色あせない本だったんですけど、皆さんはいかがでしたか?

こみや:子供の頃に読んだことある人は、この中では僕だけだね。

あなご:そもそも子供が自分からモモを手に取るのかな。岩波少年文庫って、誰かに薦められないと手に取らない本だと思う。特に最近の子は、例えば角川つばさ文庫みたいな、表紙がアニメ絵のドリトル先生とか、そういうのが売れている。

もーこ:「モモ」はのタイトルの引きが弱い気がしている。今の本はタイトルで大抵話の内容がわかる。

あさき:洋画でも、「カールじいさんの空飛ぶ家」の原題は、「up」なんです。…モモの装丁はエンデ自身が描いている、とても綺麗な絵なんですけどね。エンデは物語も絵も両方書いている。物語を書きながら、頭の中に絵が具体的に浮かんでいたんでしょうね。

ふんず:挿絵もいいよね。でも、例えば、作者が死んだ後に、勝手に挿絵を入れられたりしたら、作者はどう思うんだろうね。

KC:俺は時間貯蓄銀行に時間を奪われるっていう意味がよくわからなかった。エンデは時間を奪われるってことを通じて、お金のことを書きたかったんじゃないのかな。子どもたちがプラカードを持って街を練り歩くシーンは、資本主義に対して社会主義が対立している構図、みたいな。この本を時間の本じゃなくって、お金の本だと思って読んでみたら、面白いんじゃないかな。

こみや:タイムって映画がまさにそのテーマだったよ。

もーこ:星新一でも似たテーマの話があったね。

ふんず:モモのあとがきに、「この話は事実かわからないけど、色々な人にこの話を聞いた」っていうのが出てきて、こういう話って旅先でよくあったりして、それを本に収めたっていうのはすごい感性の持ち主だよな。

あなご:私は本に付箋を貼った場所は、だいたいここまでで話したな。あ、ジジのお話に出てくる、「なんたることじゃ、ああわたしは・・・!」って台詞、おもしろいよね。すごい絶望。

こみや:僕がまだ話していない気になった箇所は、最初の方の、ジジがモモに語る「魔法の鏡」の物語がとても素敵。ファンタジーの世界から、最終的に僕ら2人に物語が帰ってくる。僕が女の子だったら、こんな話を語られたら惚れちゃう。

KC:え、これ皆いい話だととらえたの?俺はこれを読んで、「何このロリコン!」って思ったんだけど。あれ?この時ジジって10代後半?てっきり30代かと思ってた。

~ここでしばし、皆でジジの物語を回し読みで音読。
元演劇部員の音読の落ち着いたうまさと、ハードカバー版と岩波少年文庫の訳文の違いが分かりました。~

こみや:ほかに気になったのは、時間泥棒に時間を盗まれ始めたあたりで、みんなが「しずけさを耐え難く思うようになりました」あたりはまさに現代の僕らみたいで気になった。今はネットを介して誰かにつながることができて、しずかでいることが難しいくらい。あとは、ベッポが「わしは誰の時間も盗んだりしないぞ!」って叫ぶシーンで、三本指を立てるポーズをしていて、このポーズは何?って。細かいところだけど。

あさき:時間って一体何なんだ?って言う問いは、本の中に何度か出てきますよね。子どもたちが集まって議論するシーン、モモがホラにも聞くし…。あ、皆さん、ホラがモモに出した問題は解けましたか?

あなご&みかこ&もーこ:解けた。

こみや&KC:僕は先に答えを見た。

~この後、モモを読んだことのないふんずさんが、見事ホラの問題を解くシーン~

その後、あなごさんの友人の、小説を読まない他動の子の話、子供が安全に遊ぶ場がない話、子供の集中力が低下したのに、ハリーポッターは読めるようになった話、発達障害の子の向き不向きの話、イタリア人の話、時間の音楽のシーンから、時間芸術の話。音楽、絵画、芝居、映画。その後飲みに行った時は、演劇をやる人の、自分の心との向き合い方の話、などなど、話は尽きず。でもこの場はこれで…

おしまい

次回は1か月後、課題図書はレイ・ブラッドベリ「華氏451」、次々回は2ヶ月後、課題図書は「ガリヴァー旅行記」です。

 

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