第三回~ジョナサン・スウィフト著「ガリヴァー旅行記」~

※今回の記録は、iPhoneのエネルギー切れにより録音に失敗したので、これまでと違って記憶のみに基づいて書き起こしたものです。参加者は、あなご、KC、タカハシ、こみや。

もくじ

自己紹介 旅行について
ガリバー旅行記について
読書会でどういう本を読みたいか?論
電子書籍論

 

【自己紹介 旅行について】

あなご 冒険家の石川直樹が好き。彼が著書『全ての装備を知恵に置き換えること』の中で言う「旅の荷物は少ない方がいい。道具は知恵に変えればいい。」って言葉が好き。旅行には予定外のことが起こらないことに気づき、高校生のときに「脳内で旅行に行く」遊びをしていた。そっちの方がよっぽど予定外のことが起こる。別に旅行じゃなくても、家から駅に行くまでの道で、普段といかに違うことを見つけるかが楽しい。あの団地の転落防止ネット、今日は布団ハサミが引っかかってたなー、とか。こないだ私の働いてる高校で、世界一周旅行に行った人が、「旅で知見を広げましょう」みたいなことを話す講演をしていて、聞いていて引いちゃった。

タカハシ 僕も旅行が苦手。大学1年以来、旅行に行っていない。ボランティアや誰かに会いに地方に行ったことはあるけど、レジャーの旅行にはそれだけ。仮に旅行に予定調和じゃないことを望むなら、旅行の予定を立てるとか意味がわからない。予定調和じゃないことは日常の中に充分ある。例えば通勤路の途中の駅で降りて散策をしたり、居酒屋であった知らないおっちゃんと朝まで盛り上がったり、日々の生活を微分するのが好き。それに例えば、世界一周旅行をしたから、内面が深まった人にそんなに会ったことがない。ファッションとして旅行に行くだけなんじゃないの?

KC 俺はスイスに長いこと住んでいた。確かに最初は意識高いことを言って渡航したけれど、住んでいるうちにそこは「住む場所」になってしまった。旅行で予定調和以上のことが起こらないと思うのは俺もそう思う。友達と一緒に旅行に行った時、俺は旅先のことを調べたら大体そこのことが想像できて、でその場所に着いたら「あ、こんなもんか」って感じだから、一緒に行った友達から「お前と一緒に旅行に行くと、超つまんねえ」って言われる。

こみや 俺は旅行に行くのが好き。ちなみにガリバー旅行記を読んだのは、出張に行く飛行機の中。ちょうどブロブディンナグ(巨人の国)のあたり読んでいて、ふと窓の外を見たら巨人の視点で地上が見えた。俺が旅行に求めるのは、現地の普段会わない人と交流することや、自然を体験することだって自分の中で整理された。それ以外のことは確かにそこまで予想を超えないことが最近わかった。旅行が与えてくれるのは非日常性だったり、知らない世界を体験することだったりする。皆が言うように、何が待ち受けてるかは調べればわかるんだけど、俺は調べたり予測したりするより先に、実際にやっちゃう体力があるからやっちゃうんだと思う。何事も。俺は逆に日々の生活を微分するのが苦手なので、よっぽど皆の方がプロ旅行者なんじゃないかしら。

 

【ガリバー旅行記について】

こみや この本を読書会でどう扱おうかはとても考えた。月一読書会にしちゃ文量が多いのがひとつ。こないだの会で、本の読み方には、細部の描写が好きな人と、何が言いたいか抽象化したい人とがいることがわかった。だけど、この本の細部は結構生々しい描写が印象に残るし、抽象化以前にスウィフトの主張がはっきり出ていて、あまり要約する必要を感じないこともひとつ。そこからさらに話を、僕らの考えてること、まで落とすと、話題が「あるべき社会とは?」みたいな、各自の主義主張に近い話になりかねない。

じゃあ話題をあくまで本に即すと、「この話には大きく4つの架空の国が出てきて、それらは(当時の)現代社会をあぶり出すためにいろんな面から語られている。じゃあそこで語られてる面を、例えば政治、犯罪、教育、みたいな分け方で整理したら、スウィフトの考える理想の社会みたいなものが浮かぶかしら?」っていうアプローチにすると面白いかもしれないけど、結構労力かかりそう。また、この本はいま4社から別の訳で出てるけど、訳の違いって観点で見ても、この本はそんなに訳の違いが出ないんじゃないかしら。

タカハシ 少なくとも、読書会に向けてこの本を読みきれたから、良かったですね。あと、スウィフトにとっての理想の国ってなくて、どんな国でも批判しちゃうんじゃないですかね。国ごとの比較って点だと、どの国もある種理想的な国としてポジティブに書かれているけど、第3話のラピュタあたりの一連の国だけネガティブに書かれている。国の訪れ方、去り方も全部違いますね。あ、訪れた架空の国の中に日本だけ特出しで出てきたのは、日本も当時相当変な国だって思われてたからかな。

あなご 当時の日本の髪型、おかしいしね。私はそういう観点だと、やっぱり教育が気になった。リリパットの男女同等の教育は、当時としてはかなり先進的だったんじゃないかな。細部好きな私が付箋を貼ったのは、まずはリリパットの「靴のかかとが高いか低いかで揉めた」っていうところ。だから王様は、片方かかとが高い靴を履き、もう片方は低い靴を履く、っていうところ。こういう細かい設定は大好き。次にまたリリパットで、ガリバーが王妃の手にキスをするシーンの挿絵(福音館書店版の大判の本には、1800年代に描かれた挿絵が多数入っている)。いい感じに気持ち悪い。進撃の巨人みたいな不気味さがある。他にはバルニバービのおかしな研究所のあたり。

こみや そういえばグラブダブドリブの、死人がポコポコ生き返って論争するシーン、書いていて楽しかったんだろうな。カエサルにブルータスを褒め称えさせるとか、哲学者に持論をアリストテレスに説明させるとか、やりたい放題。ラピュタはジブリの元ネタなのかしら。

あなご あのラピュタは、知恵を身に付けすぎて滅びてしまった人たちが住んでいた設定だから、そうなんじゃないかな。

タカハシ スウィフトってとても厭世的な人ですね。スウィフトがこの本を書いたのは1726年。この時代に、ここまで社会を客観化して書けたのはすごい。日本は安定してる江戸時代ですもん。特に最後の、フウイヌムとヤフーのくだりは俊逸。「猿の惑星」とか、貴志祐介の「新世界より」、とか、人間じゃないものと人間を比較して、人間の本質を浮き上がらせる話は多いけど、この本はそのパイオニアでしょうからね。沼正三の「家畜人ヤプー」って小説があって、ヤプーの名前はここから取ってるんでしょうね。あと巨人とか小人とか、そういう国に人間が行くってことをこの時代に思いついた想像力もすごいんじゃないかなぁ。

KC 想像力は今の方があるんじゃない?だって素材は昔より今の方がたくさんあるでしょ。そしたら素材の組み合わせの幅は昔より断然多い。

こみや 想像力を組み合わせ、って捉えるとそうだけど、ゼロからイチを生み出すことができる領域は昔の方が多かったんじゃないかな。わからない現象と、その原因の間を結ぶのは想像の力。その間を埋めるために、魔法使いやドラゴンが考え出された。現在は地球上で知られていない土地はないけど、この時代は誰もガリバー旅行記がフィクションじゃないことを証明できなかった。

あなご 私は学校で歴史の教科書読む時はいつだって、「嘘だ、こんなこと信じられない」と思ってた。事実かどうかわからないことを真実のように語られ暗記させられることが大嫌いだった。だけど、こんな私がガリヴァー読んだ時は「ほんとうの話かもしれない」と思った。ほんとうに、これらの国がどこかにあった、あるのかもしれない今も、そう思わせるくらい、真実を伝えようとする作者の熱が分厚く密度の高い本の中でほとばしってた。信じたいことを、真実というのかもしれないって、なんとなく思った。

KC 今でもわからないことはあるじゃん。宇宙の果てはどうなってるか?とか。

タカハシ 脳内はどうなってるか、とか。だからこそSFの領域は、そこにしか見出せなくなっていますね。

こみや あ、だからいま、想像力を働かせるべき対象は何か?って考えるときには、未知なものは何か?って考えればいいのか。

タカハシ ガリバー旅行記がパイオニアって話に戻すと、古典を読むことは是か非か?って議論はありますよね。別にオリジナルを読まなくても、同じことを言ってるもっと良く出来た作品が後世にあるわけです。例えばビートルズってどれだけすごいんだ、と。

こみや これは誰かの受け売りなんだけど、歴史のフィルターってあると思うのね。人から人へと読み継がれることに耐えてきた本たち。後世の本が、それまでにあった本たちを踏まえて書かれているんならいいんだけど、昔あることを知らずに、新しいことを考えたつもりになっている本もある。それらを見分けるのに、ある程度の歴史を減るってのはいいフィルターかなって。

こみや この話、ガリバーの奥さんの立場に立って、要約してみると悲劇になる。自分の家族を養うために旦那が海外遠征に出たら、それっきり帰ってこない。帰ってきてもまたすぐ出て行っちゃう。最終的に帰ってきたと思ったら、俺は馬しか愛せないんだ、なんだお前臭い、って言われちゃう。

タカハシ 馬じゃなくても良かったんでしょうけどね。馬の次点はなんだろう。犬かな。文化や思想だけじゃなく、動物と人間を比較することで、動物としての人間の弱さを出す、っていうのもすごい。友達に、虫を殺せない子がいるんです。その辺に虫がいたら、カップとかに入れて離れたところで逃してやる。なんでそんなことするの?って聞いたら、「いやだって人間だけが賢いわけじゃないし」。シンプルだけどグサッて刺さった一言でした。

こみや そしてこの読書会の裏テーマになりつつある、ロリコン要素がこの本には出てこなかった…と思ったら、スウィフト自身にロリコン要素があった。角川書店版の訳者あとがきに忌憚ない解説が書いてある。

KC …やっぱり避けられないのか。

 

【読書会でどういう本を読みたいか?論】

途中で出てきた、オリジナルを読むべきか?論は、つきつめると、この読書会で今後どういう本を扱うか?って話にもなる。以下は読書会後に話した事も含めてまとめ。

  • 「メンバーがこの場で読みたい本」を読む。ジャンルは不問。
  • 必ずしも読み切る必要はないし、読み切れないまま参加することを申し訳なく思う必要も全くない。その場合、読めていないことを前提に、話に参加しやすくするためのファシリテーションテクニックは必要になりますが。
  • メンバーは言いたいことを言いたいだけ言う。今のところ、話してる本人は「話しすぎてるかも。。。」って感じているかもしれないが、それを聞いてる方は全くそう思っていない。今後も皆の人間性とファシリテーターの力で何とかしていきます。
  • あくまで必要なのは、本を読んでくることのみ、って場にする。本の背景知識を深堀りするやり方もあるけど、まずは主役に忠実に。

 

【電子書籍論】

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タカハシ しかしKCさん懲りないですね。電子書籍は読書会に向かないって、こないだ皆で同じページを見る作業をした時にわかったはずなのに、今日は青空文庫版をipad miniで持ってくるなんて。角川文庫版は400ページくらいなのに、どうやったら青空文庫は180ページになるんですか?

KC 本は頭の中に入っているから、読書会当日に本をめくる必要ないじゃない。そう、本は頭の中に入っている。大事なことは太い声で繰り返すの、いいよね。青空文庫と他の訳の、内容の違いはそこまでなかったよ。例えば冒頭の、ガリバーの生い立ちは、一言で片付けられてたけど。

あなご ラピュタらへんも大幅にカットされてるみたいだね。見方によっては、内容を損なわずに要約してる、勇気ある訳だ。

タカハシ 別に僕は電子書籍を貶めたいとはこれっぽっちも思っていないんです。でも、仮に電子書籍が紙より前に発明されていたとしても、文章を読むのに紙の本を見開くっていう形態は出てきたと思うんです。電子書籍みたいな新しく出たものが無条件に優れているか?っていうと、そういうわけじゃない。例えば電子媒体が数百年もつか?っていうと、そうじゃない。でも古文書があるように、紙って物理的な劣化にも耐えうるんです。そう、紙って劣化に強いんです(これ、気持ちいいっすね)。まぁどちらも、残るのは人類が生きてることが前提にはなるけど。

あなご 電子書籍の保有率も、アメリカでは確か3割くらいで高止まったよね。あ、そういえば学校の職員室でも、余裕のあるベテラン先生は電子書籍読んでるな。電子書籍の方が新聞読むより仕事してる感がある。

タカハシ e-inkってお年寄りの目に良いんです。字でかくなるし。

こみや いずれ製本も自宅でできるようになるかもしれないね。電子書籍は、本の文字情報を、本屋で買ってくる代わりにどこかからダウンロードする。あとはそれを印字する媒体を選ぶだけ。今はフリクションボールペンみたいに、印字し直せる方法や、有機ELみたいに紙に近い電子媒体もある。そのうち、白紙の本を電子レンジに入れて、パッて開けたら焼きたてほやほやの本が出てくるかもしれない。

KC 話としちゃ面白いけど、相当マニアックな人にしか売れないだろうなー。

 

おしまい

 

次回は1か月後、課題図書は「夏への扉」です。

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